既遂犯なのに何故「実行の着手」を最高裁は議論しているのか?<2>刑法判例・最決平成16年3月22日

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地上戦

最決平成16年3月22日は、殺人罪の成否について職権で判断しています。
1 事実関係
2 【要旨1】【要旨2】

職権判断

事実関係

事実関係については、前回の記事(早過ぎた結果の発生が論点になるのはなぜなのか?<1>刑法判例・最決平成16年3月22日)を参照してください。

【要旨1】

【要旨1】では、

…第1行為と第2行為との間の時間的場所的近接性などに照らすと、第1行為は第2行為に密接な行為であり、実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。

とし、「実行の着手」の議論をしています。

【要旨2】

【要旨2】では、

…一連の殺人行為に着手して、その目的を遂げたのであるから、たとえ、実行犯3名の認識と異なり、第2行為の前の時点でVが第1行為により死亡していたとしても、殺人の故意に欠けるところはなく、実行犯3名については殺人既遂の共同正犯が成立するものと認められる。

として、殺人罪の故意の議論をしています。

【要旨1】での「実行の着手」の議論は何のため?

【要旨1】では、「実行の着手」を議論しています。
「実行の着手」の議論は何のためになされたのでしょうか?
未遂犯(43条)の成否を検討するためになされるのが「実行の着手」です。
未遂犯とは、実行に着手したが、法益侵害結果が発生しなかった場合に成立する犯罪です。
結果が発生した場合には未遂犯は問題となりません。
そうすると、本判例(最決平成16年3月22日)は少し奇妙と思いませんか?
本事案では被害者Vは死亡していますから、死亡結果が発生しています。本判例も殺人既遂の成立を認めています。
既遂犯を認めているのに未遂犯の成否で検討する「実行に着手」(43条本文)の議論をしているように見えるので奇妙なのです。
それでは、本判例が、既遂犯が成立するにもかかわらず、「実行の着手」を議論したのは何故でしょうか?
矛盾はないという前提で検討すると、本判例が言っている「実行の着手」は未遂犯の成否で検討する「実行に着手」(43条本文)ではないということになります-詳細は後ほど検討しますので、ここでは「実行行為」ということにしておきます-。

【要旨1】では、どの行為の実行行為該当性を検討しているのか?

【要旨1】ではどの行為の実行行為該当性を検討しているのでしょうか?
第1行為の実行行為該当性を検討しているわけではありません。なぜなら、職権判断1(5)で、

客観的に見れば、第1行為は、人を死に至らしめる危険性の相当高い行為であった。

とあるため、第1行為自体の実行行為該当性は認められているからです。
そうであるなら、なおさら【要旨1】で実行行為該当性の議論をしたのは何故なのかが問題となります。
この疑問を解決することが「早過ぎた結果の実現」を理解するポイントとなります。

故意とは?

ここでこの疑問を解決するポイントは、故意の理解です。
故意とは、構成要件該当事実の認識・予見です。
構成要件該当事実は、

1 結果
2 実行行為
3 因果関係(結果と実行行為間の

ですから、故意が認められるためには、

1 結果の予見
2 実行行為の認識
3 因果関係の予見

が必要となります。
第1行為からV死亡結果が発生した場合にBらに殺人罪が成立するには、第1行為時にV死亡結果の予見がBらにあることが必要となります。
ところが、本事案では、Bらの計画上、第2行為によってVを殺害する計画でしたから第1行為時にVが死亡するとはBらは思ってもいないわけです。
本判例でも、事実関係を述べる1(5)で、Bらは、

第1行為時自体によってVが死亡する可能性があるとの認識を有していなかった。

とあります。
そうしますと、第1行為自体は実行行為であったとしても、Bらに故意がないのでBらに殺人罪のみならず、殺人未遂罪も成立しないことになります。
しかし、第2行為からV死亡結果が生じた場合は、問題なくBらに殺人罪が成立します。
ここで、第2行為からV死亡結果が生じたのであればBらに殺人罪が成立するということで何の問題にもならないのですが、本事案では、

Vの死因は、…いずれであるかは特定できない。Vは、第2行為の前の時点で、第1行為により死亡していた可能性がある。

ので、Vの死因が特定できない場合は、処罰可能性のある行為(ここでは第1行為と第2行為)すべてに殺人罪が成立しないとBらを殺人罪で処罰することはできません。
ですが、本判例は、Bらに殺人罪の成立を認めた原判断を正当と判断しています。
ということは、最高裁は、第1行為からV死亡結果が生じた場合にもBらに殺人罪が成立すると考えていることになります。
どう考えると最高裁のような判断が可能となるのでしょうか?

第1行為と第2行為の関係

ここでは、逆に、第1行為からV死亡結果が生じた場合にBらに故意がない、と判断したのは、第1行為と第2行為との関係をどう考えたからなのか?を検討すると理解しやすいと思います。
結論からいえば、第1行為と第2行為とは別個独立の行為だ、と理解したからこそ、第1行為時に殺人罪の故意が認められないことになったのです。
第1行為と第2行為とが別個独立である考えると、故意の内容も別個独立に判断されます。なぜなら、故意とは個々の構成要件該当事実の認識・予見だからです。
ということは、第1行為からV死亡結果が発生した場合に、第1行為時に故意があるといえるためには、第1行為と第2行為とを一体化して考えることが必要となります。
第1行為と第2行為とを一体化するとは、第2行為が実質的には第1行為から始まったと考える、ということです。要するに、第2行為の開始を第1行為時にまで前倒しするということです。
このように、第2行為の開始を第1行為時にまで前倒しして、両行為を「一連の行為」として捉えれば、第2行為時の故意を、第2行為と一連となっている第1行為時に持ってきてBらを殺人罪で処罰することが可能となります。

結果惹起の根拠となるべき行為を拡張する機能(あるいは結果帰属の対象となる行為を拡張する機能)(深町晋也「『一連の行為』について-実体法の視点から-」刑法雑誌50巻1号(2010年)84頁)

を「一連の行為」論が担っているのです。
だからこそ、最高裁は、【要旨1】で第1行為をもって実質的に第2行為を開始したといえるかを検討するために「実行の着手」の議論をしているのです。

あくまでもスタート

以上のことは、あくまでもこれからなされる議論のスタートにすぎません。【要旨1】で、なぜ「実行の着手」の議論をしたのかという最高裁の思考をなぞっただけだからです。
次に問題となる本丸は、【要旨1】で、最高裁がどういう論理で、「第1行為を開始した時点で…殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。」と判断したのか、です。
ここでいう「実行の着手」とは、「実行行為」のことでしたから、【要旨1】での議論では、「実行行為」該当性の判断基準についての最高裁の考え方が示されていることになります。学説は入り乱れていますが、ここでは最高裁の判断基準を内在的に析出していきたいと思います。

---次話へ続く---

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